NPO法人OHANA

子ども食堂
『OHANA食堂OPEN}』





熊本震災復興支援
に行った時の写真



OHANA 理事長
板倉 未來
血の繋がりや遺伝子を超え
愛で繋がる家族になる
私に、何故そんな想いが与えられたのか
私の原点は生い立ちにあります。
私自身が今日まで、
とても生きづらさを感じる中で生きてきました。
自分のことが大嫌いで
人に心が開けず「死にたい」と思わない日がなく
人生に絶望しながら生きてきました。
14才の私は誓いました。
「大人になったら私は
自分と同じような境遇の子どもたちを助けたい。」
そして20年前に、
子どもたちのために学童保育をして、
学校帰りの子供達と食事を共にしたり
2年間かけて不登校、引きこもりの子に
声をかけ続けアプローチして、
おうちから出て来てくれた子どもたちと友達になって
一緒に、お買い物したり、お料理を作って食べたり
虐待を受けていて、
お母さんが帰ってこなくなってしまった子どもがいれば
家に駆けつけて、一緒に寝たりしました。
お母さんの話を聴き
子どもたちの話を聴き
お互い愛しあっているのに、
ボタンのかけ間違いのように
お互いの命を傷つけあう姿を見ながら
私も親になって初めて親の気持ちがわかったように、
わからないことが多いから傷つけあうのだと思いました。
「助けて」と
安心して相談できる人がいないから
孤独の中で悲しみ苦しむのだと思いました。
お母さんが笑顔になり
子どもたちが笑顔になれる
お母さんと子どもの
命をつなぐお手伝い
が私にできればと
10年前に特定非営利活動法人
母と子の生命をつなぐオーバージーンを立ち上げ
児童自立支援施設や児童養護施設の子どもたちに
会いに行く訪問を始めました。
「生まれてきてくれて ありがとう」
「生きていてくれて ありがとう」
を伝えるために
誕生日月の子どもたちの名前を書いたバースデーケーキを
男子寮と女子寮に毎月、届けています。


施設の子どもたちは18才になると
退園して出ていかなければいけません。
だから、子どもたちが
安心して帰ってこれる居場所
世代を超えて集うことができる居場所
血の繋がりを超えて
助け合い支えあえる家族
OHANAを世界中につくりたいのです。
4年前にフィリピン台風復興支援プロジェクトの
慰霊祭に参加したときに
お金もない、住むところもない子どもたちが
私に求めてきたもの
それは
「ハグして」
骨と皮ガリガリで、お腹がすいている子どもたちが
欲しいものは「愛」だと
自分のことを抱きしめてほしいと
「愛」を求めてきたのです。
私は、泣きながら子どもたちを抱きしめ覚悟を決めました。
愛で生きよう
この世に必要なのは愛しかない
みんなと家族になりたい
私はみなさんと一緒に子ども達を守りたいです。