NPO法人OHANA
「助けて」を支える
「生まれてきてよかった」
どんなに辛い過去も
乗り越える力がある
子ども達に
安心できる居場所を
【応援お振込み先】
★ゆうちょ銀行
【記号】11260
【番号】25810191
【名義】トクヒ)オハナ
★ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込み
【店名】一二八(イチニハチ)
【店番】128
【預金種目】普通預金
【口座番号】2581019
【名義】トクヒ)オハナ
皆様からお預かりした募金は
以下の活動につかわせていただきます
①OHANA食堂
子ども達&シングルマザー無料
②虐待、DVなどからの緊急保護、支援
③発達障害・不登校・引きこもりの
子ども達の支援
④OHANAの家・シェルターの運営
⑤児童養護施設の子ども達の支援
退園後の子ども達の支援
⑥被災地での炊き出し支援
⑦心と身体を癒すアニマルセラピー
OHANA食堂
2020年の2月に新型コロナウィルスの感染拡大を受けて
スタッフ間で話し合いを続けOHANA食堂は形を変えて
継続していくことを決めました。
こんな時だからこそ子ども達とママ達を支えたい!
強い愛の絆で繋がりあいたい!
そんな想いが与えられ、OHANA弁当が誕生しました。
毎回、100食をつくっています。
2020年12月30日のOHANA食堂では
いつも来られるお母さんが
「今年の3月、4月は本当に辛い時を過ごしていました。
このOHANA食堂が支えになっていました。
本当にありがとうございました。」
と言っていただきました。
会津OHANA
「おなかすいた~」
「朝から何も食べてない」
「お母さん、お酒を飲んで寝てる」
「家に帰りたくない」
夏休みに入ってから会津OHANAでは
朝ご飯・昼ご飯・夜ご飯3食つくり続けました。
朝8時には、もうOHANA食堂に来ていた子ども達
OHANAアニマルレスキュー隊も大活躍し
子ども達を癒し続けました。
10月はオハナイト食堂を始めました。
子ども達が準備~後片付けまで行い
ママや自分たちのために夜ご飯をつくっています。
つくってもらうだけではなく
自分達でご飯をつくり生きていく力を育んでいます。
虐待が毎日のように起こりました。
お母さん自身
それが虐待だと気づいていない現実の中
保護者同士が繋がりあい支えあうことができるように
OHANA家族会を結成し問題が起こるたびに集まり
話し合いを現在も続けています。
【応援お振込み先】
★ゆうちょ銀行
【記号】11260
【番号】25810191
【名義】トクヒ)オハナ
★ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込み
【店名】一二八(イチニハチ)
【店番】128
【預金種目】普通預金
【口座番号】2581019
【名義】トクヒ)オハナ
16歳の少女のサポート
中学生の時に、お母さんを自殺で亡くし会津若松から
祖父母の住む徳島へと引っ越していったS。
事情は公開できませんが、徳島に住み続けることが
危険だと判断し徳島まで車を走らせて祖父母との
話し合いを続けSと一緒に会津に帰ってきました。
現在は、バイトをしながら
アニマルレスキュー隊のスターウォーズと一緒に
暮らしています。
Sからの手紙
アニマルレスキュー隊
初代アニマルレスキュー隊 ゴンザレス隊長が
2020年7月10日 突然死しました。
最後の最後まで徳島県からOHANAにきたSに寄り添い
大笑いさせたわずか1時間後に意識を失いそのまま
虹の橋へと渡っていったゴンザレス。
翌日がOHANA食堂だった為に急遽お葬式をしました。
たくさんの子ども達がゴンザレスの死を嘆き悲しみ悼み
お別れをしました。涙を流し嗚咽を続ける子ども達を
抱きしめながらゴンザレスがどれほど子ども達を愛して
癒して子ども達に寄り添い続けてきたのか
ゴンザレスの大きな慈愛を心に刻みました。
ゴンザレスの想いを受け継いだアニマルレスキュー隊は
命の大切さを伝えに3回「命の授業」を行いました。
子犬の出産とゴンザレスの死を通して子ども達と一緒に
命について考えました。
小学校での子育て相談
2017年~小千谷市立片貝小学校
2020年~長岡市立中ノ島中央小学校
校長先生と連携して毎月
保護者の方を対象に子育て無料相談会を行っています。
2021年からはオンライン相談会も実施していく予定です。
障害をもつ方々の生き甲斐と喜びを生み出す居場所支援
障害をもったお二人が子ども食堂のお手伝いがしたいと
様々な子ども食堂を回ったけれど全て断られ
最後に行った子ども食堂で
「OHANA食堂さんなら
受けいれてもらえるかもしれませんよ」と言われ
「OHANAさんが最後の希望です‼️」
と訪問してこられました。即座に
「もちろん‼️大歓迎ですよ」
とお応えした瞬間、男性は大号泣されました。
事情を聴いてみると
二人は6年間お付き合いしていたのですが
独り暮らしをしている男性を介護できるヘルパーさんが
居なくなってしまった為に男性は、この日を最後に別の施設に移動しなければいけなくなり
子ども好きな彼女のために自分が居なくなっても安心して
過ごすことができる居場所を探していたという事情でした。
『いつ離れるのですか?』
とお聞きしたら
『今、ここに介護タクシーが迎えに来たら
そのまま今日お別れになります』
この話を聞いてすぐ花束、ウエディングドレス、ケーキ
神父さま、音楽と手分けして子ども達と一緒に手作り結婚式を20分で準備し、祝福しました。
その後、男性は別の施設に移動され
女性の方は毎週OHANA食堂に来られ子ども達や犬や猫に
会えて生きる希望ができたと喜んで下さっています。
【応援お振込み先】
★ゆうちょ銀行
【記号】11260
【番号】25810191
【名義】トクヒ)オハナ
★ゆうちょ銀行以外の金融機関からのお振込み
【店名】一二八(イチニハチ)
【店番】128
【預金種目】普通預金
【口座番号】2581019
【名義】トクヒ)オハナ
~生後2か月の赤ちゃんと
3才の女の子のママのレスキュー~
3才の娘を虐待する自分を止められない
そんな自分を責め
「娘を殺してしまうかもしれない」
という恐怖を抱え
生後2か月の赤ちゃんと3歳の女の子を連れて
深夜に助けを求めてやってきました。
お母さん自身も虐待された傷をもっていました。
話を聴き、抱きしめて寄り添い続けました。
ママの笑顔が輝きだすにつれて
3才の女の子もどんどん落ち着いていきました。
あれ以来、子どもに手をあげることはなくなり
毎日、ご飯をつくれるようになったという
嬉しい報告が届いています。
2018年11月15日朝日新聞
~17才の少女Kちゃんのレスキュー~
①中学生の頃のKちゃんと誓ったこと
Kちゃんとは、彼女が中学生のときに
お誕生日ケーキを届け続けている施設で出逢いました。
「『ママ』って読んでもいい?」と聞いてきたK ちゃん
あるときKちゃんが
「少し話があるので時間もらっていいですか?」
と聞いてきました。
私が施設の先生の顔を見たら、うなづいて下さったので
「いいよ、どうしたの?お話は、なぁに?」
と彼女の顔を覗きこみました。
その瞬間、私は彼女を引き寄せ腕の中で壊れるほどに強く つよく 抱きしめました。
Kちゃんは、話なんて、何も なかったのです。
Kちゃんは、ただ泣きたかったのです。
覗きこんだKちゃんの顔は涙でグチャグチャでした。
私とみんなと一緒に過ごしていた施設の中ではただ、ずっと私の横に寄り添って私の手を握ってきました。
一緒にテレビを見たり、みんなとゲームをしていました。
私が「また来月も会いに来るね」と女の子たちに言ってた言葉をKちゃんは
いったい どんな気持ちで聞いていたのでしょうか。
Kちゃんは、親の都合で違う施設に急きょ移動させられることになったのです。
私は腕の中で小さな肩を震わせながら号泣しているKちゃんを抱きしめながら
髪の毛を なでたとき その髪の毛が白髪だらけになっているのをみて
手を握りしめたとき その手の皮が全部むけて痛々しいのをみて
私の血が熱く煮えたぎるのを感じました。
私はKちゃんに言いました
「寂しかったね…辛かったね…苦しかったね…」
Kちゃんの声は大きく嗚咽しました
私も泣きながら、Kちゃんの耳元に話続けました。
「ごめんね…私に今、あなたを迎えに行く力がなくて本当に、ごめんね…。
これから私は力をつけて必ずKちゃんあなたを迎えに行くから待っててね!
絶対に、あなたが、どこへ行こうとも
私は、あなたを、どこまでも追いかけて迎えに行くから
必ず迎えに行くから、だから待っててね」
と泣きながらKちゃんに伝えました。
Kちゃんは学習発表会で英語でスピーチしました。
「私の夢は保育士さんになることです」
そんな素晴らしい才能をもっているのに理不尽な大人の事情で閉ざされては、いけない。
私の命の使い道の方向が、はっきりと定まりました。
Kちゃんみたいな子どもたちが安心して
傷を癒すことができる居場所をつくる!
夢をサポートし応援し続ける!
私は、子どもたち、みんなの母になる!
帰りの車の中で泣きながら、そう心に決めました。
~17才の少女Kちゃんのレスキュー~
②施設退園後
『あの子を殺してほしい』
『あの子が幸せになることは絶対に許さない』
16才になったKちゃんは、家に戻りました。
しかし、愛され守られるべきその家で
保護者から虐待を受ける日々が始まりました。
冒頭の言葉はKちゃんの保護者が私に言った言葉です。
私はKちゃんと保護者に会いに行きました。
Kちゃんは酷い言葉をはかれても
虐待を受け続けても
それでもその家に帰りたいと泣き叫びました。
保護者は今すぐ、新潟に連れて行ってほしいと言いました。
突然、自分の家に帰ることができなくなって
知らない土地で暮らさないといけないと言われ
大切な愛する人と離れ別れる選択しか
自分に残されていないとしたら皆さん、どんな状態になりますか?
それが、たった16年の人生の中で何度も繰り返されてきたとしたら?
やっと施設から自分の大好きな家に帰ってくることができたのに・・・
泣き叫ぶ少女を抱きしめながら私は心に誓いました。
子どもたちが安心して帰れる居場所
「OHANAの家を世界中につくる」
~17才の少女Kちゃんのレスキュー~
③施設退園後
その後もKちゃんとは連絡を取り続け
Kちゃんに会いに行きご飯を食べさせ
色々な話を聴いてきました。
Kちゃんは、どんなお店に連れて行っても
白いご飯を何杯もおかわりして食べます。
「白いご飯を食べるのどれくらいぶりだろう」
そう言いながら何杯も…。
17歳になったKちゃんから
再びSOSの電話が今年の1月にかかってきました。
「死にたい、ごめんね、未来さん。
もう生きてたくない」
「なんで、Kは生まれてきたの?
なんで、Kばっかりこんな想いしないといけないの?」
「自分でも、どうしたらいいのかわからない。
自分のこと傷つけてしまった」
虐待を受け血のつながりをもつ者から
何度も殺されかけてきたKちゃん
「死にたい。生きてなんかいられない。
もう誰も信じられない」
「変わりたいと思うよ。自分にも夢があったよ。
でも生きてくために犠牲にならなきゃいけないことも
いっぱいある。
変わりたい。でもどうしたらいいかわからない。
もう死んでしまいたい。死にたい 死にたい 死にたい」
17才のKちゃんに私は
「K、大丈夫。大丈夫だから。大丈夫
今から迎えに行くから待ってて」
ゆっくり、新潟と会津で3日間ほど過ごしたKちゃんは、
仕事に行くと笑顔で帰っていきました。
そんなKちゃんから2月に1本のメールが入ってきました。
「うちが保育士になりたいって言ってた夢、覚えてる?」
「今、うち、心理カウンセラーになりたい。
なれるかな?どうやったら資格とれるかな?」